子どもの頃から30歳くらいで死ぬと思っていた。それ以上の未来を想像できなかった。それ以上生きる意味もわからなかった。
物心ついた時から私はひとりで生きていくと決めていた。結婚もしないし、子供も持たない。人生は子孫を残すためのものだから、子供を持つ気のない私は子供を持たない30歳以降の人生は意味がないと思っていた。30歳まで仕事に打ち込んで一応社会貢献したら死ぬだけだと考えていた。
子供時代は親子関係が悪く家庭に居場所がなかったし、学校ではいじめられて学校にも居場所はなかった。孤独だった。20歳を超えたら精神疾患になって生きる希望も無くなった。楽しい記憶、笑顔の記憶がない。なぜ生きているのか、ずっと疑問だった。生きていることに疑問を持つから、子供を持たなければ30歳で死ぬべきという誤った考えが抜けなかった。
3月で28歳になる。自分が決めていたタイムリミットまであと2年になってしまった。たぶん私は30歳では死なないだろう。
なぜそう思えるようになったのか。子供を持たない人生だって意味がないわけない、と考えられるようになった。子供を持たない選択をした先輩方に出会い、子供を持つだけが人生ではないと教えてもらった。人生は子供を持つ・持たないに関係なく寿命まで全うするべきものだった。子供を持たないからといって死ぬしかないというのは間違いだった。
もう一つ、30歳までバリバリ働いて社会貢献しておけば生きた意味は持てると思ってたが、27歳10ヶ月生きてきて正社員で働いたのは3ヶ月、その後2年半無職で現在パート職員。世間はボーナスの金額で盛り上がるが、人生で一度もボーナスという物をもらったことがない。バリバリ働いて社会貢献なんて、これっぽっちもできていない。死ぬ前に少しは社会貢献したいので、まだ死ねない。
上記のことを考え、この2年程で30歳で死ぬという考えはとき解されてきた。
あと、生きてたら楽しいことがあった。これはとてもラッキーなことだけれど一緒に生きていきたいと思える人と出会えた。家族、友達、パートナーという大切な存在が今の私にあること。これはとても大きい。大切な人たちともっと時間を共有したい。暗かった人生を照らしてくれるものがあると知れたので、私はこれからも生きていけると思う。
精神疾患界隈で“理解ある彼くん“という存在が時折話題に上がるが、私のパートナーの存在もそれと同義になるだろう。でも理解ある彼くんを手に入れられたのは、私が行動したからで、人生が照らされたのは間違いなく私が病気を治そうと、必死に生きようともがいてもがいて努力してきたからだ。勝手にそんな存在が現れたわけではない。
私は私のために生きようと決めた。だから努力している。そして今人生楽しいって思える。辛いことがないわけじゃない。いつになったら普通に働けるのか、病気がなくなるのか、苦しい時もたくさんある。それでも幸せと思える時間があるから30歳を超えても私は生きていこうと思う。