小学生時代、男子たちに顔面の評価をされた。他の女子は「中の上」「上の上」と続く中、私の評価は「特下の下」だった。特下の下?つまり最底辺ということか。うん、まあ自分でも美人とは思っていなかった。デブで一重だし、可愛いと言われたこともなかったから。でも、流石にそこまでの評価とは考えておらず、大人になった今もその言葉を覚えている。しかし、色々言いたいことはあるが、まず本人に聞こえるところでそんな話をするな。
小学5年生の頃の私のあだ名、それは「ドリアン」。いじめられており友達は一人もいなかったので陰で呼ばれていたのだが、直接呼ばれなくても小学生の陰口なんて陰口になっていないので、自ずと自分のあだ名を知ることとなったのだが。
「ドリアン」といえば、世界一臭いフルーツと言われている。なぜそのようなあだ名を付けられたのか。それは、その名の通り私が臭かったからである。なんせ何日もお風呂に入らず、シャワーも浴びず髪は脂でベタベタ。それは臭いに決まっている。そんな有様だから、いじめられるのは目に見えているし、「ドリアン」と言うあだ名を付けられても仕方がないと、今の私も思う。正直、そんな姿で学校に来ていて申し訳なかったとクラスメイトたちには謝罪したい。
いじめ問題では、どんな理由があれいじめはしてはいけないという。だが、世界一臭い小学生を前にいじめをするなと言えるだろうか。無視はいじめだ。でも、そんな臭いクラスメイトと一緒にいたいと思うだろうか。私なら近付くのは避けたいと思う(まあ臭いのは私なのだが)。小学生に相手が臭くても仲良くしましょうなんて言えるかな。大人でも臭い相手がいれば、避けると思う。まあ、大人なら避けるだけで露骨な嫌がらせなどはしないだろう。でも避けはするのだから、いじめといえばいじめと言える。大人でもそんな対応をしてしまうのだから、より純粋な小学生なら素直に臭いものは臭いと本人に言うし、それが悪口といわれるものになるだろう。
私は小学生時代のいじめの記憶には深く傷ついている。でも「ドリアン」と言うあだ名に関しては自業自得ではないか。お風呂に入らなかった自分が悪いのに、全てをクラスメイトのせいにするのは違うのではないか。では私はどうしたら良かったのか?
風呂に入れ。その一言に尽きる。ただ、お風呂に入っていた時期もいじめれてはいたのでそれ以上の対処法はわからない。
家では家族と過ごしていたわけだから、家族は何も言わなかったのか。記憶は定かではないが、臭うと言われたことはある気がするが、それほど強うく指摘されたことはなかった。家族は私に無関心というか、特に母は無関心な面と過保護な面が入り混じり当時の私と母の関係はあまり良くなかった。いじめを家族のせいにするのはなんともいえないが、家族がもう少し私のケアをしてくれていれば、いじめもそこまで大きくならずに済んだのではないかと考えてしまう。
ただ、最初の話にあるように容姿でも悪口は言われていた。いじめられていたのは臭いだけの問題でもない。容姿だったり、性格だったり。小学校というのは小さな王国だ。力の持つものに集い、異物は排除される。私のお風呂に入れなくなったのも、いじめによるメンタルの問題からだろうとも推測できる。いじめられるのが先である以上、お風呂に入れ、という一言は正しくないかもしれない。
いじめ問題は根深い。正直どうしようもないと思う。大人になれば幸せになれるから今は耐えろと言いたいが、大人になったらなったでまたいじめはあるし。でもどこかで逃げ道はあるから。小学校でいじめてきた奴らとは28歳の今、全く接点はない。ただ、その時はどうしたっていじめは無くならない。友達もできない。今でも私は小学生時代をどう過ごせば良かったのかわからない。ひとつだけ小学生時代の自分に言えるとしたら、大人になってそれなりに楽しく過ごせているから小学生の自分、耐えてくれてありがとう、くらいかな。