お母さんの握るおにぎりは大きい。
山に登ってきた。山に登ったといっても地元の低山のハイキングコース。山頂までアスファルトで舗装されている道を1時間ほどで登る。
木々に囲まれた登山道を気軽に登れて、森林浴ができる。運動強度もきつくなく、鈍った体にはちょうど良い。
そんな山にお母さんの握ったおにぎりを担いで登った。
子供のころからお母さんの握るおにぎりは大きかった。「小さめに握ってね」とお願いしても普通のおにぎりより大きい。
具は梅や昆布。ありきたりだけど強めに塩がきいた大きなおにぎりが大好きだった。
運動会や遠足、いつもそこには大きなおにぎりがあった。
お母さんの握ったおにぎりが大好きだったし、今でも大好き。
だけれど、その気持ちを私はずっと忘れていた。
小さい頃のお母さんは恐怖の対象だった。怒鳴られるし、殴られるし、道端に置き去りにされる。
それがトラウマで、私には子供のころに笑った記憶も幸せだなと思った記憶も心の奥底にしまわれて、その存在はずっと忘れ去られていた。
でも最近、小さい頃の私も幸せだったんだなと考えるようになった。
まだトラウマが消えたわけではないし嫌な記憶が多すぎるけれど、お母さんは私のことを愛してくれていたんだと思えるようになった。
自分のうつが回復してきて、あの頃はお母さんも大変な苦労もしていたんだと気づいた(それでもお母さんにされたことが消えるわけではないが)。
お母さんとの関係もまだまだ途上だが良好になってきて、そして先日山に登り久しぶりにお母さんのおにぎりを食べた。
美味しかった。
昔から変わらないお母さんの味。愛されてると実感できなかったあの頃の自分。それでもこのおにぎりには愛情が握られていた。それをずっと思い出せなかったけれど、やっと思い出せたかもしれない。
やっぱり私はお母さんのおにぎりが大好きだ。