リストカットする子はかまってちゃんですか

「リストカットなんて、かまってほしいからするものでしょ」なんて言葉をよく聞くが、リストカットってかまってほしいからするものだろうか。自傷行為をしている人に聞きたいが、かまってほしいからリストカットをする人はどれくらいいますか?

かくいう私は、かまってほしくて自傷行為をする。

私がリストカットをする理由

リストカット、アームカット、OD、頭を壁にぶつける、自分の体を殴るetcいろんな種類の自傷行為を行うが、私は特にリストカットをすることが多い。

なぜリストカットなのか、それはスッキリするから。この一言に限る。スッキリするのだ、腕を切ると。私の感覚として、鬱々した気持ちが蔓延して体がパンパンになった時に手首を切ると血と一緒にスーッと鬱々が流れていき、体が軽くなるのだ。それが気持ちいい。気持ちいいと書いたが、気持ちよさを求めてするというよりは、体の不快感を取り除くという意味合いが大きい。鬱々を外に出さないと苦しいからね。

私のリストカットは他人を巻き込まない。気づかれたくないから傷跡は隠すし、自分から「私リストカットするんだよね」なんてことは言わない。基本的にリストカットは一人で完結するものとして認識している。

それならばなぜ、私はかまってほしくて自傷行為をすると書いたのか。

かまってほしいより、気づいてほしい

それは精神科の閉鎖病棟に入院していた時のことだった。

私は人見知りであり病棟の看護師さんにも心を開けず、しんどい気持ちになった時も自分から「話を聞いてほしい」と声をかけることができなかった。病棟内はカッターなどの刃物は持ち込めないのでリストカットはできなかったが、鬱々した気持ちは発散したいので、渡されていた貴重品を入れる引き出しの鍵があり、その鍵で腕をガリガリ傷つけていた。

ある日看護師さんにその傷が見つかった。そのとき心配した看護師さんは時間をとって私と話をする時間を作ってくれたのだが、その行為が私をかまってちゃんにした。

他人からの優しさに飢えていた私は、話す時間を作ってくれたという優しさがすごく嬉しかった(看護師さんにとっては仕事の一環なのだが)。そして思いついた。自傷行為をすれば、優しさをもらえると。

それから看護師さんに心配してほしくて、爪で皮膚をガリガリ傷つけたり、腕を柱に何回も叩きつけて骨を折ろうとしたりした(流石に自分の力では骨は折れなかった)。まさにかまってちゃん。心配してほしくて、優しくしてほしくて、慰めてほしくて。

でもかまってちゃんになることが悪いことなのだろうか。

私の場合、いわば自傷行為はSOSだった。自分から助けを求める手段を持ち合わせておらず、自傷行為をすることで意思表示をしていた。そういう理由で自称行為をする人は他にもいるのではないか。

最初は自傷行為だったが、看護師さんとのやりとりを通じて正しい意思表示の仕方を学んでいき、徐々に自傷行為は減っていった。入院中に自傷行為というSOSがあったから、そこから治療を進め良い方向に進めることができた。これがなければ私の自傷行為が減ることはなかっただろう。

それを踏まえると「リストカットはかまってちゃん」と一言で済ませるのはいかがなものだろうか。医療従事者の中にも、リストカットはかまってほしいだけだから無視する、という人もいる。なかにはかまってほしいだけの所謂ファッションメンヘラもいるだろうが、それをひとくくりにリストカット全てを軽視し蔑ろにするのは貴重な治療機会を失ってしまう。

私自身、リストカットへの正しい対応はわかっていない。何が正解なのか、どう声かけすればいいのかとかわからないけど、まずはその人に寄り添う心だけは忘れないでいたい。

このブログは主に私の体験談などを書いているが、自傷行為への正しい対応方法など勉強した際にはシェアしていくので、またブログ読みにきてください。

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