人が自殺するとき、周りの人からしたら突然の出来事のように感じることが多いと思う。
私は自殺未遂経験者だが、自殺未遂をしたあの日は自分にとっても突然の出来事だった。
あの日は平日で仕事に行くはずだった。目覚めは良いとは言えないけれど、いつも通り起きて身支度をして家を出た。そのときは仕事に行くつもりだった。
私は当時、自動車通勤をしていたので車に乗り込み職場に向かった。車を10分ほど走らせたところだろうか、急に「今日は仕事に行けない」と思った。それ以上車を走らせることができなくなって、近くのコンビニに車を停め職場に今日は休ませてほしいと連絡を入れた。そして自宅に戻った。まだこのときは死のうだなんて気持ちは全くなかった。ただ今日1日仕事を休むつもりなだけだった。
自宅に戻り、ホッと一息つくとそれは現れた。
「あ、もう死ぬしかないかもしれない」その気持ちがぱっと生まれ、それに飲み込まれた。
「死ぬしかないかもしれない」「よし死のう」
死ぬことを決断するまですぐだった。
死の衝動に襲われた私はまずコンビニに向かい財布に入っていたお金で買えるだけのお酒を買い、浴びるように飲んだ。そして、そのお酒で溜まっていた処方薬を200錠ほど流し込んだ。記憶は薬を流し込んでいる途中で途切れた。
次に目を覚ましたときには、病院の集中治療室でいろいろな管に繋がれていた。
人が自殺するときというのは突然なんだということをこの時知った。
職場の同僚たちも私があの日自殺未遂するなんて思ってもみなかっただろう。だって前日は朝からちゃんと出勤して、ニコニコ笑顔振りまいて普通に仕事していたのだから。
自殺した人に対して、周りは気づいて助けられなかったのだろうか、とかよく言うが自身の経験上それは無理だ。自殺衝動は突然来る。その波に飲み込まれたら終わり。私はあの時死ぬ以外のことは考えられなくなっていた。誰かが悲しむとか、迷惑がかかるとか、そんなことは一切考えていなかった。
自殺する人を救いたければ自殺衝動が来る前に、SOSに気づき対策をとらなければいけない。誰にも相談できない、信頼できる人がいない、助けを求められない、そんな孤独な人々をどう救うか。自殺する人が出すSOSはたぶんとても分かりづらい。だから周りも気づかず、その人は結局自殺してしまう。SOSに気づかないから突然自殺したように感じる。
私自身、自殺未遂した日は自分にとっても突然だった。しかし、思い返せば元々自殺願望はあったし、あの日が近づくにつれ自傷行為は激しくなっていたり、なにもかも突然だったわけではない。徐々に追い込まれていたのを周りの人には気づかれなかったし、自分も気づいていなかっただけ。周りの人が気づいて止めることは難しい。だから自分の自殺は自分で止めなければいけない。
あの時の私は、相談できる相手はいなかったし、働かなければ生きていけないと思っていたし、今の環境以外ないと思っていた。でも世の中には働かなくても生きていける制度はあるし、環境を変えることはいくらでもできる。それを知ってからだいぶ生きやすくなった。その情報を知ることで選択肢も広がった。
しかし、そういった情報を知る機会はなかなかない。苦しんでいる人に生きやすくなる制度を教えてくれたり、環境の変え方だったりを教えてくれるところに出会うって難しい。情報があれば救える人はいるかもしれない。苦しんでいる人に情報を届けたい。そのために私に何ができるのだろう。まだわからないけれど、一人でも多くの人を救える世の中になるように、私は考え続けたい。